2005年10月18日

「大河の一滴」五木寛之

暗い本であるが1998年のベストセラー。
五木寛之の思想は、仏教(親鸞オタク)と
終戦を朝鮮で迎え敗戦国の難民として過ごした悲惨な体験から育まれたと思われる。

タイトルとなっている「大河の一滴」とは私たち命のこと。
小さな存在ではあるが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、
永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのである。

「人が生きるということは苦しみの連続なのだ」
と覚悟するところから出直す必要があるのではないか

それは
なにも期待していないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、
小さな思いやりが<早天の慈雨>として感じられる

からだ。

筆者は、自殺者が年3万人近くいて(自殺は日本人の死因の第七位!)、
少年の凶悪犯罪が増加するなど、
現代の日本人は死を軽視していることを問題にしている。
この問題の解決の糸口として、
ナルシストになること、
死をあらわにすること、
人間が生きていることの素晴らしさを実感すること、
などを挙げている。
マンフォードという思想家が、自分を愛していない人間は
他人を愛することができない、といっています。自分を人間を憎んでいる人間は他人を憎む。
だからたとえ幼稚な愛であっても、人はせめてナルシシズムからでも
出発するしかないのではないか

若い人たちのインド旅行での新鮮な驚きのひとつは、
インドでは死があらわになっている。死というものが日常生活の中で
隠されないで露出されている

私たちが自分で意識していることの何百万倍ぐらいの努力が、
この小さな体のなかで行われながら、ぼくらは生きるわけです
(血液、栄養を体中に運び、免疫系が病気から守り、などなど)


しがらみにとらわれず、自分らしい自分で納得できる生活を送ることで
幸せを感じることができる。
早寝早起きの規則正しい生活も、人間一般には常識だろうが、
個人に共生する必要はない。太古、人間は夜行性だった時期もあるというではないか。
イスラムの思想では夜更かしは美徳である

(常識にとらわれるのではなく)こういう生き方を選んだのだ、
このことで悔いはないのだ、ああ、なんと自分は幸せな人間だろう、と思えるのだったら、
むしろそのほうがいいのではないか


でも、だらだらしすぎてもいけないようだ。
(南極での厳しい生活でも、髭を剃り、服装をととのえ、あいさつをする)
社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しいか生活環境のなかで
最後まで弱音を吐かなかった


成長するためには、よくしゃべる人、自分の意見をはっきり言うことが大切とのこと。
蓮如は「ものを言わぬ人間は悪人である」といっている。
それは、人前でものを言うと、その人間の心の浅はかさ、
そして考え方のいたらなさ、そういうことが一目でばれてしまうのではないか。
ばれることによって、人に教えてもらうことができるし、自分でもいたらなさに気づく
そんなふうにして人間は成長していくものなのだ


あまり思いつめずに
あきらめるということも必要だと思います。
「あきらめる」の語源は「あきらかにきわめる」ことです。
物事を明らかにして、人間にはできないこと、どうしようもないこともあるのだと
理性的に確認するということです


大切な人が傷ついていたら「励まし」だけでなく場合によっては「慰め」も
人間の傷を癒す言葉には二つあります。ひとつは<励まし>であり、
ひとつは<慰め>です。まだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると、
ふたたびつよく立ち上がることができる。しかし、頑張れと言われれば言われるほど
つらくなる状況もある。なにも言わずにそばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。
その人の手に手を重ねて涙をこぼす。手の温もりとともに閉ざされた悲哀や痛みが
他人に伝わって拡散していくこともある。


戦争の時代、なぜか不思議な実感があるのです。生きていたという実感が


大河の一滴
大河の一滴
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posted by xi at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) |
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